走る男の足跡 Leave RUNNING MAN's FOOTPRINTS

おすすめ情報

走る男[2008年4月〜2009年3月]

番組ルール

1km走るごとに、ジョギング貯金として500円を得る。そしてそのお金で飲食・宿泊等を行う。あまり走れなかった日などには飲食代・宿泊費が足りないなどの事態も起こりうる。ちなみに何を食べるのか・何処で泊まるのか、どの道を行くのかは森脇の自由である。 当初企画書段階ではジョギング貯金というアイデア以外に、県境を越えたら30000円加算というアイデアもあったようだが(出典:DVDコメンタリ)、それはボツになっている。

概要

東名阪ネット6共同制作の第2弾として制作され、タレントの森脇健児が北海道・洞爺湖から沖縄県・首里城まで2500kmを走り、日本を走破するまでの記録を放送する。期間はほぼ1年(2008年3月12日 - 2009年2月22日)。また、ブログ形式の公式ページで随時ジョギングの様子が更新され、夜には森脇自身が入力した日記も公開された。
KBS京都で放送されていた、森脇がアポなしで町に繰り出し一般人とふれあう番組「らくらぶR」の中の「琵琶湖一週サイコロふれあい旅」と「京都縦断サイコロふれあい旅」の二シリーズを踏襲した番組で、森脇が芸能生活をかけて持ち込んだ企画でもある。
ジョギングのスタート地点に一般人が応援に集まり、森脇と伴走することが毎回のようにあった。地元のみならず遠方から駆けつけて伴走した一般人も多い。また伴走だけでなく、番組ページへの書き込み等による情報提供などで一般視聴者が参加して番組を支えたという近年まれに見る番組運営であった。森脇の真摯な姿が当初の予想を上回る反響を呼び、第二弾である走る男IIに受け継がれた。
第1弾の「カルチャーSHOwQ」とは違い、東名阪ネット6加盟の各局の放送時間が異なり、また加盟していない局にも番組販売を行っている。

当時のエピソード

番組制作会社担当プロデューサーの東郷一重によると、本番組の企画を東名阪ネット6局のプロデューサーの前でプレゼンしたところ、森脇と繋がりの深いKBS京都以外の人間からは「今更森脇健児じゃないだろう」との声が上がったという。その時にすかさず東郷は「今だから森脇健児なんです!」と言い無理矢理押し切ったという。
本番組の予算は非常に限られており、森脇に同行するスタッフは担当ディレクターとカメラマン(カメラマンはディレクターが兼務。東郷プロデューサーその他スタッフが同行することもある)の2名のみで、ディレクターは運転手も兼ねていた。また地方に行く際は必ず旅行会社の格安パックチケットであるとのことである。森脇自身は「価格破壊」のテレビ番組と雑誌のインタビューで答えている。
2008年7月26日、洞爺湖(北海道)から新船橋駅前(千葉県)までの1076kmを走破した時点で森脇が頸椎に椎間板ヘルニアを発症していた事が判明したため、森脇自身の走行は症状が回復するまで休止することとされた。このトラブルに見舞われたとき、番組が半年で打ち切りになる話も実際に出たという。そのピンチを解消すべく東郷プロデューサーが打ち出したアイデアが「視聴者による代走」であった。8月3日、公式サイト上の一般公募で集められた43人のランナー達が代走として森脇を引き継ぎ新船橋駅前からみなとみらい(神奈川県)までの55kmを駅伝形式で走破した。この代走区間は、後に日本縦断完走後「夏休みの宿題のやり残し」として森脇自身が2日をかけて走破している。
素人ランナーの伴走者に混じり、森脇との親交が深い薬師寺保栄、千葉真子、森脇の後輩タレントにあたる安田大サーカス、みょーちゃん、かみじょうたけしなどの著名人が伴走に駆けつけたこともあった。また伴走という形ではないが、有森裕子、笑福亭銀瓶、森脇の師匠である若井はやと、河島あみる、河島翔馬といった著名人が番組出演を果たしている。
ぼんちおさむや構成作家の小原信治が当番組を視聴し絶賛していた。特におさむは第32区の回を見て、「感動した!」と森脇の携帯電話に泣きながらわざわざ感想を伝えた程である。また明石家さんまも『走る男』を見ていたそうで、『痛快!明石家電視台』のなかで「あれ(あの番組)、どういうロケ体制で撮っているんやろ」と不思議がり、そして、「なんで番組内であんなに上から目線でしゃべるねん」と感想を述べながら、走り終わった後の森脇の真似までやってみせている。
当番組スタッフの並川洋介は河島あみるの夫であり、その縁もあってテーマソングの依頼を弟の翔馬に持ちかけた。それで出来上がったのが「風を切って」だが、この曲では番組と合わない、という意見になりやがて「ジョギング」が誕生した。

お気に入り